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すべては“モテる”ため!?悩むより行動し続けるRepro VPoP 三木明のブレないキャリア

公開

Repro株式会社でVPoPを務める三木明(@threetreeslight)さん。SEとしてキャリアをスタートし、アメリカに登記する日本のスタートアップへ転職、その後も複数社でサービス立ち上げを経験した後、2014年にRepro株式会社を共同創業しました。

新卒時代から追い求めてきたのはとにかく「モテ」を勝ち取ること。行動と振り返りを高速で繰り返してきた三木さんの、失敗を恐れないキャリアの軌跡を辿ります。

プロフィール| 三木 明

2008年NTTコムウェアに入社し、SIと新規開拓営業を担当する。退職後、CTOとしてmashroom.incに入社。2012年メディア系スタートアップを立ち上げ、終了後に2回の転職を経験。2014年Repro株式会社を創業。2014年にCTO、2016年にはVPoEを務める。現在は、全従業員のLTVの最大化、組織生産性向上を担うVPoPに就任。

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モテるためには?を追い求めた就職活動

—まずはプログラミングをはじめたきっかけ教えてください。

中学生の頃、父親が個人で請求システムを開発していて、手伝うように頼まれたのがきっかけ。そこから、好きなカードゲームのホームページを自分で作っているうちに興味が増していきました。

—高専に進学したのも、プログラミングへの興味からですか?

いえ、あまり関係はないです。幼い頃からニュートン(科学雑誌)を読ませるような父親で、「いいかーマッドサイエンティストになるんだぞー」と言われて育ってきたんですよね。結果、当然理系に進むことに。ちょうど当時の成績に合う高専があったので、父の勧めもあり進学を決めました。

専門は電子工学科だったのでプログラミングに触れる機会は少なかったのですが、在学中から父親の知り合いの会社でWeb制作を手伝っていました。オンラインゲームにも没頭していて、ボットを運用することもありましたね。

—そこから新卒でNTTコムウェアに入社したのはなぜだったのでしょう?

実は唯一内定をもらったのがそこだったからですね。幼い頃からモテたい気持ちが強くて、就職活動でもいかにモテるかを最優先してまして。当時、ホリエモンのニュースとかもいろいろあり、モテるにはM&Aの仕事をするしかない!と考えるようになりました。結果として、外資系の投資銀行ばかり受けてたんですよね。受けると技術職も勧められることが多かったのですが、頑なに断る始末。今振り返ると短絡的ですよね(笑)

悔しいながら、投資銀行はすべて落ちました。最初の就職フェアでたまたま立ち寄ったブースがNTTコムウェアでして、たまたま選考が進み内定をいただき、入社を決めたという経緯があります。

—入社時のモチベーションはあまり高くなかった?

基本意識が異常に高かったので、モチベーションだけは異常に高かったですね。ただ、SEとしてExcelばかり触っていると、「うーん、これは何をしてるんだろう?」という違和感もでてきました。

また、20代前半はとにかく僕にとって「モテるかモテないか」が重要で、じゃあ今から何ができるかを考えていたときに、たどり着いたのが「起業」だったんです。それから起業家向けのインキュベーションプログラムや、スタートアップ系のミートアップに参加し始めました。

成功の確度を高めるために退職を決意

—そこから退職に至った経緯を教えてください。

とあるインキュベーションプログラムに参加した同期が、起業に専念するために会社を休職を決断したと教えてくれたんです。それを知って、あーこのままでは負けるな、と。翌日には辞表を出しました。

—即決だったんですね。仕事がなくなる不安はなかったんですか?

それよりも成功確度が下がる方が怖かったですね。当時、僕は1日6時間睡眠、8時間労働として、起業に割けるのは最大でも1日10時間。休職をした彼とは8時間も差が生まれる。仮に同じ速度で成長したとしたら、約2倍の差が付いてしまうわけです。

今の生き方にベットしてても勝てないなら、より勝てる方で勝負する。これは当時も今も変わらないですね。

—退職後は起業の準備を?

そうですね。時間は確保できたので、優秀な人とチームを組まなければいけないと考えました。当時、ハスラーとハッカー、デザイナーで起業するのが最も成功確率が高いと聞いていたんです。その仲間探しのために引き続きスタートアップ系のミートアップに参加してました。

その頃に、後にReproを共同創業する平田祐介と出会いました。2人と他の何人かで「採用系のサービスをやろう」と話していました。

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—そこまで話が進んでいたんですね。その後、楽曲制作サービスを開発していたmashroom.incに入社したのはなぜだったのでしょう?

採用系サービスの立ち上げを考えていて、有識者の元を訪れていたのですが、スタートアップ界隈でよくイベントに顔を出していたときに出会ったmashroom.inc から誘われたんです。アメリカのデラウェア州に登記している会社で、真剣に海外で勝負する姿勢にかっこよさを感じました。また、海外で新しいチャレンジもでき、自分の経験にもなるはずだと考え、ジョインを決めました。

採用系サービスは途中で抜ける形になったので、Reproを始めるときには平田に「もう梯子を外すなよ」と釘を刺されたのを今でも覚えています(笑)

起業から二度の転職へ。行動から学び続ける日々

—入社してからはどのような仕事をしていたんですか?

CTOとしてプロダクトの設計や技術選定など、プロダクト開発全般を担当しました。いずれも経験が浅くてわからないことだらけ、かつエンジニアの知り合いも少なかったので、ひたすら自力で、寝る時間も削って勉強しました。

—そこまで頑張れたのは、成功に近づいている実感が得られていたからなのでしょうか?

成功してモテるというゴールのためにやるだけ。だから一切辛くはなかったです。それに、プログラミングってゴールがなく、際限なく成長できると思うんです。どこまで強くなれるんだろうと、その攻略していく感覚に夢中になっていましたね。

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—その後、再び退職に至ったのはなぜだったのでしょう?

会社が解散することになったんです。ユーザーから一定の評価はあったのですが、投資家に対し収益性を証明しきれず調達に失敗してしまった。それで解散せざるを得なくなりました。

—その後はどのような道を検討していたんですか?

悔しかったこともあり、起業以外は考えていなかったです。とにかくもう一度挑戦して成功するぞ、と。成功するには優秀なメンバーを集めることが不可欠だと強く感じていたので、すぐに仲間集めに奔走しました。

結果的に6人の多国籍チームを組み、海外のツイートを翻訳するサービスを立ち上げました。

—資金調達に失敗する姿を間近で見ていても、再び起業することへの不安はなかった?

なかったですね。何かしらのチャンスあれば、成果が出るまでコミットしたい。やらないで悩むよりは、行動してみてトライ&エラーを繰り返した方が成功へ近づくので。

—その後、サービスはどうなったんですか?

プロダクトは完成しユーザー獲得に動き始め、いざ資金調達をする段階になって、ボスだったメンバーが他の会社に吸収されることに。これも解散する以外選択肢もなかったです(笑)

それにとにかくお金がなくて生活も危うかったので、一定利益が得られるビジネスモデルを確立できている企業で働き、次回の起業に活かそうと考えました。

—それでtenso株式会社を選んだのですか?

そうですね。その後tenso株式会社に転職したのも同じ理由です。海外発送代行サービスなので、海外の人が何を欲しがっていて、どういう物が売れるのかを学べるな、と。

とはいえ、どちらの会社も自ら起業したわけではないから大きなキャピタルゲインは得られない。いつかはこの経験にレバレッジを効かせて、成功を勝ち取るんだという気持ちは常にありました。

迷ったら、“レアな成功”を掴める道を選ぶ

—そこからReproの創業に至る経緯を教えてください。

入社してある程度たったとき、500 Startupsに入るスタートアップから誘われていたタイミングがあって。このチャンスを掴んだほうが良いんじゃないか、そろそろ退職かなと思い始めていた頃に平田から改めて一緒にやろうと声をかけられたんです。正直、ものすごく迷いました。尊敬しているエンジニアと働けること、そして海外市場でもう一度チャレンジできる環境でしたから。

ただ、迷っていたタイミングで平田から「僕だったらこう考えるかな。シリコンバレーにいって仕事をすること、勉強は何時でもできる。だけど成功する会社をつくるにはタイミングがすごいレア。どちらも魅力的なチャンスであるときには、レアな方を選ぶかな」と。
これは響きましたね。その後も悩みましたが、成功を掴めるチャンスはレアだ、であればそっちに賭けたほうが人生を面白いだろうと考え、平田と共にReproを創業しました。

—創業時はCTO、それからVPoP、VPoEと役割はどのように変遷していったのですか?

創業CTOの役割は、プロダクトマネジメント業、アーキテクト業、マネジメント業、採用業ととても幅広いもので、これを全て担っていました。

とはいえ、事業や組織の拡大に伴って、本当に難しくなってくる。
2年ほど経った頃、技術センスがすごいjokerさん(橋立友宏氏@joker1007)がCTOとして入社してくれることになりました。

その後、元SDKチームのボスの林正浩(@m_repro)が「PdMが弱い!」と言って担ってくれることになったり、チームをいい感じに見れるシニアエンジニアのnekoe(中江和寛氏@let_nekoe)や元CTOのeccyan(佐藤大資氏@eccyan)など、EMを担える優秀な方々が加わってくれました。本当にうれしい。そうすることで、VPoEとしてのロールがどんどん絞られていったんですね。

そう考えると、次に課題が山積みだったのが、組織としていかにパフォーマンスを高めていくかというところでした。この領域の改善をエンジニアに閉じる必要は一切ないので、やるんであれば全社的にやろうと。そうして、VP of Peopleとして全従業員のLTV最大化や組織生産性最大化に取り組むことにしました。

1時間でもいいからやってみようと伝えたい

—1on1でメンバーと向き合う上で気をつけていることはありますか?

なるべく答えを出さないことですね。課題を整理するための軸を提案するなど、思考の整理や多面的に見る手助けに注力し、最終的な答えはなるべく自分で出してもらうようにしてます。パフォーマンスについても、自分がどのようなときに「パフォーマンスを出した」と考えるのかを考えてもらう。その上で互いの定義するパフォーマンスをすり合わせ、必要であれば視座をより高くし、どうしたらより面白い環境になり、良い経験ができるようになるのか、市場価値を最大化できるのかを一緒に考えるようにしています。

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—今後kiitokでもメンタリングをする上で意気込みを教えてください。

ぶつかっている壁や悩んでいることに対し一歩踏み出す後押しができればと思います。僕自身、これまで沢山の失敗を経験し、無限に凹んできたので。「どのような壁にぶつかっているのか」や「何がどう辛いのか」「何をリスクに感じているのか」を共有してもらった上で、その物事をどう捉えるかというマインドセットや、取るべき行動を示唆だしができればと思います。

—話を聞いていて、三木さんは常に前を向いている印象を受けたので「無限に凹んできた」は少し意外でした。

いえいえ、常に新しいチャレンジは怖いですし、本当に多く失敗してきました。常に行う新しいチャレンジは、アンラーニングが求められ、自分が一番下手となってしまうので本当に怖いです。ただ、可能な限りクイックに次のアクションを起こすようにしています。行動を起こさない限り自身へのフィードバックも発生せず、何を改善したら良いかもわからないから恐怖も払拭されないんですよね。 

アクションさえすれば、何かしらのフィードバックが得られて、次のアクションへつながっていく。自ずと前に進めるんですよね。メンタリングでも「とりあえず1週間やってみよう、いや、1時間でも良いからやってみよう」とマイルストーンを決めて気楽にアタックする。壁を突破する第一歩になるようなアクションをサポートしていきたいですね。

—ありがとうございました!

三木さんがエンジニアの新しい専門職「CRE」について語るmeetupを12/17に開催予定!!
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